ステップファミリーの考え方とは
こんにちは。あいるたんです。
私はステップファミリーの母親という役割をもう気が付いたら7年ほどやっています。ステップファミリーとは「再婚や事実婚により、血縁のない親子関係や兄弟姉妹関係を含んだ家族形態。」とのことです。
この「ステップファミリー」という呼び方を最近知りました。それまでインターネットやSNSでの情報を調べることもなかったので、私たちのような形態の家族に名前があったのだと驚いたほどです。
この「血縁のない親子関係」にむずかしさを感じるステップファミリーの方が多いのではないでしょうか。継子が懐かない、反抗する、実子のように愛情が持てない…など。
私もかなりの期間悩みました。継子に対してどうすればいいのかと言うよりも、どう考えれば(思考)良いのかと思っていた時、ある事に気がつきました。
人(子ども)を育てるのに「実子」と「継子」に隔たりがあるのか「子ども」という括りで見たら、みんな同じ「子ども」ではないかということだったのです。
たとえば幼稚園や保育園の先生は「やさしい子」「やんちゃな子」や「聞き分けのいい子」「聞き分けのわるい子」など多種多様な子ども達がいる中、どの子にも愛情を持って接してくれています。
子どもの悩みは親の言葉がけひとつで変わる
こんにちは。あいるたんです。
子どもの幼稚園や学校生活の中の一言に驚いたり、心配したりと親の心は子どもの言葉でかなり揺らぐものではないでしょうか?
お友だちと楽しく遊べているのか、そもそも仲良しのお友だちはいるのか、一人ぼっちにされていないか?など。
ですが当事者、経験の浅い子どもの心のほうが大きく揺れ動いているのではないかと思います。こんな時どうしたらいいのかわからない…と感じて親に話していることが多いので、親は自分自身の心をなるべく揺るがさず子どもの話しを聞いて、その時に合った対処をしてあげられるほうが良いと思います。
とくに子どもが小さいうちは、子ども自身で解決できることが少ないので親が助言しないと難しいことが多いです。そしてその親の言葉ひとつで子どもの心を豊かにできるのか、または乏しくしてしまうのかが決まってしまうと思います。
うちの五男は幼稚園に通っています。幼稚園は1クラスに25人程度でその中でも男の子は少なく、どのクラスも7〜8人程度です。
五男はあまり活発なほうではなく、園庭で遊ぶよりも教室で物作りをしているタイプです。その五男が少し前から「幼稚園に行きたくない、誰も一緒に遊んでくれない。○○くんが遊びに入れてくれない。」と頻繁に言うようになりました。
永遠の別れ。「つらい」心を和らげるためには。
こんにちは。あいるたんです。
最愛の人との永遠の別れはとてもつらいものです。自分の親が少しずつ老いて、いつかは永遠の別れがくるとわかっていても実際にはなかなか受け入れられないものですよね。私の父も2021年3月に永眠しました。
永遠の別れから少し時間が経過したので、こう考えるられるようになってきました。
もう父と逢うことはできないけれど、私の中に父はどう生きているのだろう?私に何を残してくれたのだろう?と。
それを考えたとき、今よりもっと父の死を受け入れられるようになり心が軽くなりました。
父は生前、料理人をしており私は幼いころから父の仕事ぶりを間近で見てきました。常においしいものを探求し、作り、お客さんを喜ばすことを片時も忘れませんでした。その父の作る料理の中でも1番好きだったのが「ハンバーグ」でした。
この父の「ハンバーグ」を私は再現することができます。材料、分量、工程、全て覚えています。これは幼いころよく食べていたという舌の記憶と、父の仕事を間近でずっと見ていたことで、ハンバーグを再現できるのだと思っています。
そして父は必ず「ハンバーグ」を作ると私に食べさせ、「おいしいか?」と聞いていました。そしてそれを聞かれる私はいつも「おいしい!」と答えていました。
そして今、父の「ハンバーグ」を私が再現して私の子どもたちに食べさせています。そして父と同じように「ハンバーグどう?」と子どもたちに毎回聞いています。
そう聞くと子どもたちは「うん!おいしい!ジィジのハンバーグおいしいよ!」と言ってくれるのです。
父とは永遠の別れをしました。もう2度と逢えることはないですが、私の中に「大切なこと」を残してくれました。
それは父をいつでも思い出すことのできるあのおいしい「ハンバーグ」を私が作れること。
再現できるからこそ父が私の中で生きているということが実感できています。
そしてその「ハンバーグ」を作り、父が私にしてくれたように、今度は私が自分の子どもたちに食べさせてあげられること。
そして子どもたちの「おいしい」と言ってくれる言葉から父との幼い日の思い出を忘れずにいられることでした。
父は自分が「生きていた証」を私に残していってくれました。そしてその「ハンバーグ」は私の子どもたちにも繋がっていこうとしています。
子どもたちがハンバーグを食べて「おいしい」と言ってくれるたびに、私の子どもたち(孫たち)の中にも父は生きているのだと思っています。
最愛の人との別れはいつか必ず訪れます。それは現実に誰もがいつか受け入れなければならない悲しいことだと思います。心が喪失感に襲われたり、生きる気力を失ったりすると思いますが、その時は時間がかかってもムリせずにそのままで構わないと思っています。
そして心が少し上向きになったときに、最愛の人が自分に残していってくれたものは何だったのかと、できる限り探してみてください。自分にとって少し前を向けるものがきっとどこかにあるはずです。もう現実には逢うことはできませんが、自分の心の中で出逢うことはできるのだと思っています。いつもそばに居てくれるのではなく、自分の中に永遠に居てくれるのだと信じています。
あいるたんでした。
嫁姑の確執が起こる原因は…
こんにちは。あいるたんです。
私は義両親と同居をしています。
元旦那との結婚のときは核家族だったので義親との同居はなかったのですが、今は今旦那の親と完全同居をしています。というのも再婚し今旦那の住んでいる家に私たち(私、長男、次男)が引っ越してきたので、自然と同居になりました。
義親と同居と言うと「すごいねー!」「私は絶対ムリ〜!」とよく言われます。というか私は再婚したら今旦那の家に、親が居ただけですごいと言われるのは違うかなと思っています。実際、私がすごいわけではないので…。
義親と同居すると嫁姑の確執が生まれると、かなりの確率で思われています。ですがうちの場合はあまり嫁姑の確執を感じません。絶対にない!とは言いきれませんが、それなりに良い関係を築いているのではないかな?と思います。
なぜ、それなりに良い関係を築けているのかなと考えてみました。それはお互いに「感謝」と「尊敬」があるのではないか?と思います。
姑は日々家族全員の帰りを必ず、どんなに遅くても待っていてくれます。今旦那(姑からは息子)がどんなに残業して遅くなっても、息子たち(姑からは孫)がバイトで遅くなっても必ず起きていてくれます。
そこからゴハンの後片付けをやってくれます。嫁の私から1度もそれをお願いしたことはありませんが、五男を寝かしつけると一緒に私が寝てしまうことがあり、ムリに私を起こすのがかわいそうという理由からです。
「嫁は朝早いから、起こさずに寝かせといてあげな」と言われるそうです。そして私が夜起きて今旦那を待っていられるときは、何もしようとしません。
姑は自分がいつも夜遅く待っているからといって、私を押しのけてでもそれをしようとは思っていないのです。
姑は家族みんなのために、いま自分が何をするべきか?を常に考えて行動しています。そして自分が必要なければすぐに身を引きます。これはなかなかできることではありません。私は日々姑に助けられていて、この姑でなくては同居はここまでやっていけなかったなと思います。
私はそんな姑を尊敬し、感謝しています。普通の姑なら自分の息子かわいさに嫁をいじめたりしますよね?自分が育ててきた大事な息子を嫁に取られたと思い込み妬んだりします。私の元旦那の母親、元姑に「息子をあんたに取られた」と言われたことがあります。
取ったつもりなどないのに、そんなこと言われても…としか思いませんでした。そんな言葉を言われて、姑と仲良くできますか?私はできませんでした。感謝も尊敬もできませんでした。
今姑は「朝早く起きて、お弁当作ったり朝ごはん準備したりしてくれていつもありがとうね〜」と声をかけてくれるたびに、姑は感謝を忘れない人なんだといつも感じています。
嫁姑の確執が起こる原因は、お互いの「感謝」と「尊敬」の無さが生みだすものではないでしょうか。
前提として、嫁姑が仲良くなるのは難しいと思っています。お互いが自分を主張して、お互いが自分のほうが正しいと思っていたら絶対に仲良くはなりません。仲良くはならないにしても、ほどよい距離を保てるのが理想なのではないでしょうか。
ほどよい距離が保てない場合「尊敬」や「感謝」までいくのはかなり難しいので、なるべく相手の「良いところ」を「見る」ということからはじめてみませんか。悪いところはイヤでも見えてしまいますので、そこをあえて見ずに良いところだけに意識してみてください。
自分が生んだ子どもは姑が生んだ子ども(自分の旦那)がいなければ存在しないのだと少し覚えておくとほんの少し楽になるのではないでしょうか。
あいるたんでした。
人生の悪い転機を自分から良い転機に変えるには…
人は生きているうちに何度か「人生の転機」が訪れることがあると思います。進学、就職、結婚、離婚など…誰にでも自分にとって良いものと悪いものがあるのではないでしょうか。
人生の転機において、その時は悪いものと自分が思っていてもそこからの自分の生き方によって良いものに変化させる、あるいは次に起きる転機をもっとより良いものにすることができるのではないかと思えることがありました。
長男の中学時代のお友だちに、子どもに悪影響を及ぼす親いわゆる「毒親」をもつ子がいました。私から見れば勉強もできて人あたりも良い、とてもいい子でしたが親に何かとうるさくされているようでした。
その子の家は兄弟も多く、家庭が窮困しているのか家のことをすべてその子1人でさせられており、家の炊事、掃除、洗濯、兄弟の世話などを学校を休ませてまでさせていたのです。
当たり前ですが、そんな生活がイヤで彼は家を時々飛び出してしまいました。
そして中学3年生になり、高校への進学を希望したのですが高校に進学すること自体、親に反対されたそうです。
それでも本人の希望と担任の先生の後押しで、目指していた高校に合格することができ、希望に満ちた高校生活を夢見ていたのです。
しかし、彼は入学して半年で自主退学してしまいます。
理由は「家の都合」というものでした。高校を退学したかったわけではなかったと思います。彼にとっては高校を退学するという悪い転機が訪れたのです。
そこから長男とは音信不通になりました。
すべてを失ってしまったような彼を私は気になっていました。
それから2年後、久しぶりにその彼から長男に連絡があり会うことになったそうです。
そこで彼は長男にこう話しました。
今は少し落ちつきたいので、実家を離れ祖母の家で暮らしている、そして小さいころからの夢だった職業にチャレンジすると。
しばらくして、また彼からの連絡がありました。なんの知識もなく経験もない彼が小さいころからの夢を自分のチカラでつかみ取ったのでした。長男への電話で「夢が叶ったよ〜!」と言っていたといいます。
彼は「悪い人生の転機」を自分のものにしました。
親にずっと人生を操られ高校を退学させられたとき、どんな思いだったのでしょう。自分の人生とは何なのか?と行き場のない悔しさや葛藤に悩まされたことでしょう。
そこから自分の人生をはじめて自分自身と向き合って考えたのだと思います。誰にも親にすら頼れず、自分の道を必死でさがし歩き出したのです。そしてやっと見つけたものが、小さいころからの夢だったのではないでしょうか。
もし彼が高校を退学させられていなければ、そのまま高校を卒業して何となく親に言われたとおりに就職していたのだと思います。
高校を退学させられたという悪い転機を自分の足で人生を歩くヒントを与えられたと思うことができたからこそ、彼は悪い転機を良い転機に変えることができたのではないでしょうか。
自分が予想もしなかった人生の転機は必ず起こるのかもしれません。
私も離婚という人生の転機はまったく予想していませんでした。シングル時代の2年間は人生で1番努力したような記憶があります。
子どものこと、将来のことなどをいつも真剣に考えていました。離婚がなければ自分のことも、子ども達のことも、将来のこともあまり真剣に考えなかったと思います。
あの時の離婚という人生の転機がなければ、今の旦那と出会うこともなかったし、五男も存在しなかったのだと思うと悪い転機も自分次第で良いものに変えられると言えるのかなと思います。
人生の悪い転機が訪れたとき、誰もすぐには立ち上がることはできません。時間がかかっても少しずつ歩み出し、前向きな努力をすることができるようになればその時起こった悪い転機を良い転機として自分自身が受け入れることができるのではないでしょうか。
あいるたんでした。