もちろん私も親ですので、かなり心配しました。意地悪されているのか、ケガをさせられていないか、1人でつらい思いをしているのではないか…と親からは何も見えない幼稚園生活ですので悪い方向にしか思いを巡らすことができませんでした。
思考が悪くなるとドンドン良くない考えしか思い付くことができなくなりました。誰にやられているのだろう、先生は見て見ぬフリなのか、五男がかわいそう…と思考は負のスパイラルでいっぱいとなりました。
ですが誰にやられているのか、先生は見て見ぬフリなのか…と思っても何も解決することはできません。解決しないどころか相手に対して怒りの感情しか起こりません。
ましてや誰にやられたのかと特定したとして、その遊びに入れてくれない子の悪口を親が自分の子どもの前で言ったり、先生の対処が悪いなどと言ってしまっては子どもの心に自分はまったく悪くないんだと思ってしまい、ことある毎に自分は悪くなく相手が悪いという思考になってしまうと思います。
ではどうすればいいか?
誰も遊んでくれないと言ったとき、五男に声が小さくなかった?か聞きました。「遊ぼう!」とお友だちに大きな声で聞いたのか?もしかしたら五男の声が小さくて、お友だちには聞こえなかったのではないかと話しをしました。
〇〇くんが遊びに入れてくれないと言ったとき、他の子に声をかけてみたら?と言ってみました。〇〇くんが遊びに入れてくれなくても、他の子が入れてくれるかもしれないですよね。○○くんにこだわる必要はないと私は思いました。
子どもには「感情」ではなく「対処法」を伝えています。それを五男は私の言うとおりにしてみたところ、お友だちと遊べるようになったようです。この対処法でうまくいく時もありますが、もちろん子ども同士のことですのでうまくいかない時もあります。
そんな時は「そんな時もあるよ!」と励ましています。遊べるときも遊べないときもあるよ!と言って抱きしめています。
そして今は、お友だちと遊ぶときもあるし1人で遊ぶときもあります。どちらの五男も楽しそうに遊んでいます。どちらが良いというこだわりではなく、どちらでも楽しめるという感覚に少しずつなってきているのではないかと思っています。
親は子どもの悩みごとを聞くと感情的になってしまいます。当たり前ですが、とくに母親は心配が先立ってしまい子どものある事ない事で思考を巡らせてしまいます。心が揺らぐのは当然で、愛情があってこその揺らぎだと思っています。
ですが自分の心が揺らぐからといって「遊びに入れてくれない子が悪い」や「先生の対応が悪い」と方向を間違うと子どもの心も間違った方向に行ってしまい、自分は努力しなくてもいいんだと思うようになってしまいます。
自分から「声を大きくして遊ぼうと言う」や「他の子に遊びに入れて!と言う」などの努力をした経験と結果が子ども自身の成長につながり、そして心が豊かになっていくのではないでしょうか。
そしていつでも親が優しく子どもを励ますことだと思います。失敗しても思い通りの結果が出なくても、またチャレンジしていける心を養うことが1番大切なことだと思っています。
あいるたんでした。